ねこ
犬学概論-性格編-




以下に論述する犬学は、本邦はおろか、世界広しといえども類を見ない全く新しい学問である。従って全く独断的なものであり、今後の諸賢の本学問に対する更に一層なる真剣な姿勢が望まれる。

昭和五十年十一月三十日

大日本犬学会 会長
犬学博士 伊藤博道

第1章 犬の根本的性質及び先天的気質について


1. 犬の行動原理は直線的である

 猫は、その行動の原理が、なよなよして女性的である。逆に犬は直線的な男性性格である。その気質の大きな相違点は、鳴く時に一層はっきりとする。すなわち犬は、吠える時必ず首を振って鳴くが、猫の場合は口を開けるだけで長く鳴く。すなわち猫は、性格的にはっきりとしていなく、ニャーと語尾を伸ばすが、犬はワンワンと非常に物事を簡潔に考える性質がうかがえる。
 又、走り乍ら鳴く時、この性格は一層はっきりする。すなわち、犬の場合は呼吸に合わせて鳴き、一回の発声量が少ないから、非常に安定した通常の鳴き方になるが、猫の場合は長く伸ばして鳴くので、どうしても吸いこむ息の関係で、ニャッ、ニャッ、ニャッ、ニャッ、ニャ〜ンとなり、ニャーーーンと伸ばしたくても、息の乱れで安定した声を出す事が出来ない。又、猫撫で声という何とも不可思議な、風邪をひいたディーゼルエンジンに風呂敷をかぶせたような音が出せるが、犬には出来ない。唯、ワン、ワンと毎日同じ様に鳴くばかありである。これは単に犬がだらしないというのではなく、音声学的に犬の方が劣っているといえよう。すなわち、全ての運動原理に於いて、犬は直線的、猫は曲線的である。

2. 犬は正義派である

 よく警察官のことを、権力の犬と呼ぶ人がいるが、これも犬の性格を考えて見れば、あながち警察官を小馬鹿にした言葉ではなく、単に犬の性格を語ったものであることが理解出来る。すなわち、犬は正義派であり、悪い事が根本的に許せない性質である。世の中では盲導犬、警察犬、番犬、消防犬、自衛隊犬と、非常に多くの職場で、ほとんど無給の状態で正義の為に一心に働いている犬の姿を見ると思わず頭が下がる。
 猫はこの辺実にだらし無く、職についている例はきわめて稀であり、盲導猫、警察猫、自衛隊猫はあまり見掛けた事は無く、ドロボー猫になる位が関の山で、全くだらしがない。この例が一層はっきりするのは交番所の近くで、犬はやたら多いが猫は一匹も姿を見せない。矢張りこれは猫は自己の行動にやましい所があるから、交番の前に近寄れないわけであり、犬と異なる。犬の仲間のうちでは、警察犬すなわち権力の犬になる事は最大の誇りで、いつ採用して呉れるかと、交番の前で待っているのである。
 火事を発見したり、ドロボーを知らせたりするのはたいていは犬で、猫もたまにはあるが、数字的には1%以下で、余程優秀な猫に限られる。又、文学や映画の世界でも同様で、「フランダースの犬」「名犬リンチンチン」「名犬ラッシー」「里見八犬伝」「忠犬ハチ公」等、犬の優秀さをたたえたものである。ところが猫では、東映の「怪猫千鳥ケ淵」等の化け猫映画でほんの一寸端役で出る位で、全くだらしがない。すなわち、犬の根底には、正義の血がわきあがっており、番犬として人間とのつき合いが長いのもこの為である。

3. 犬は本来柔順な性格である

 猫を逆撫ですると、5回ぐらいでたいていガブリと噛みつかれるが、犬は逆撫でしても気持ち良くもだえるばかりで、何等噛みつく気配もなく大変従順である。しかし15回以上逆撫ですると、喜んでもだえていた犬も急にガブリと噛みつくので、せいぜい10〜13回ぐらいで止めるべきで、ブルドックやセバードには近づかない方が身の為で、小型の馬鹿犬等を撫でるのが一番良い。すなわち犬は人間を信じているから従順なのである。

4. 犬の根本性格は人生派である

 しおれてボロ布の様な犬が街を歩いているのは、何ともあわれで人生の重みを感じる。足が折れて毛が半分抜けた様な犬に、暗い路地等でばったり出会ったりすると、昔愛して別れた犬を思いだし、思わず「おい、いっしょに酒でも飲みに行かないか」等と声を掛けたりするが、犬はワンともスンとも言わず路地のかなたに消えてゆく。こんな犬の姿を見ると、ああ、あの犬は何て立派な犬なのだろうと思ったりする。この点、街のドラ猫を見ても、このような感慨はわかない。すなわち、猫は野生そのものであり、変に生活につかれた様子は決して見せないのである。



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