バルセロナのアーティストに最初に興味を持ったのは33年も前の1968年のことでした。当時ヘルシンキに滞在していたのですが、夏休みにはいろんなことをして稼いだお金を握り締めて、ヒッチハイクや鉄道でバルセロナに行きました。ランブラス通りの大道芸や、当時は日本でも知る人の少なかったガウディの建築に驚き、ピカソ美術館で「エロチカ」のエキジビションに度胆を抜かれ、街中の無名のアートに感動したのを覚えています。
1989年に大阪で【'89 BARCERONART】という9人のアーティストたちのエキジビションをプロデュースし、ペレットさんをはじめとするアーティストとのコラボレーションがスタートしました。いくつかの記憶に残る作品のなかで、ペレットさんのオブジェを使ったカレンダーが特に印象に残っています。
そして去年またバルセロナのアーティストとの本格的なジョイントを始めました。今回は初めてモノリスのAD大松と、嶋田デザイン事務所のシマダタモツ氏が同行し、各地にアーティストを尋ねました。
「私にとって、カレンダーは宝石のような心に残る仕事」と言ってくれたペレットさん。
「自信を無くしかけていた時、あなた方が私の絵画を気に入ってくれたから、絵画でやっていこうと思った」と話してくれたレヒナ・サウラさん。
彼女は、いまやアメリカの西海岸でも大きな実績ができています。またジュエリーアートのエンリック・マヨラルさんを尋ねてフォルメンテラ島にも行きました。エンリックのコレクションはますます繊細にナイーブになっていて嬉しさを感じました。そして既知の彼らがまた新しいアーティストを紹介してくれました。
バルセロナのネットワークの活性化は、新たなクリエイティブへの動機づけにもなるわけですが、21世紀の初めに…とスタートしたサラエボ・プロジェクトの一翼を担う活動としても、今年の重要な要素になりそうな気がしています。
サラエボ・プロジェクトは「民族・宗教・言語・文化のクロスロード」としての都市=SARAJEVOをキーワードに多様なアートを発信・受信していくプロジェクトです。バルセロナや地中海の島々は、2000年以上前からフェニキア人やアラブ人、ロマ人をはじめ多くの民族が文化をミクスさせてきた地域です。
イビサ島に住む画家ジルベルトの奥様は、「先祖はフェニキア人だろう・…そしてきっと海賊ですよ」と笑って話してくれました。スペイン市民戦争時はフランコの圧制を逃れてこの島に来た人が多かったとも伺いました。60年代からのヒッピーの定着も、昔から人種偏見のないこの地域だからこそなりたった歴史でしょうか。
そのような中でバルセロナで出会った1人のアーティスト、ジョアン・カーターさん《通称GATO》は南米チリから政治亡命したアーティストです。彼の風刺画が大問題視され、ピノチェト軍事政権から命の危険を冒して亡命したと彼は話します。チリの社会主義政権にクーデターを起し、ピノチェトが大統領府を攻撃したのが9月11日(1973年)。その後ろ盾は当然ながらアメリカです。無限の正義を振りかざすアメリカは、無数の9月11日が過去に存在している事に気がついていないのでしょうか?
NYのテロが9月11日というのは単なる偶然の一致でしょうか?
そして《GATO》が描いていたNY貿易センタービルの絵をポスターにして、【LOVE & PEACE
FOR ALL】というアフガンとNY双方の被災者に売上金を寄附するチャリティ企画に参加しました。彼が快諾してくれて時間のないなか実現したものです。
シドニーオリンピックのテーマでもあった民族の融合というコンセプトは忘れられた言葉になりかけていますが、私たちはささやかながら、そのような活動をアートの発信でやっていこうと思っています。そして2002年をよい一年にしたいと切に思います。
MAKE THE COMING YEAR A HAPPY ONE.
宮垣真二(SARAJEVO
CAFE/GALLERY プロデューサー)
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